「だんご3兄弟」から21年。平成の“3大”ヒット曲が歌われなくなった残念な事情
―『だんご3兄弟』『TSUNAMI』『世界に一つだけの花』―
数奇な運命をたどることになった平成の大ヒット曲たち
21年前の3月3日、歴史的なシングルCDが発売された。速水けんたろう・茂森あゆみによる「だんご3兄弟」だ。
「おかあさんといっしょ」(NHKEテレ)のオリジナルとして作られ、この年の「1月の歌」として放送されると、一気に火がつき、シングルリリースが決定。レコード会社は初回出荷80万枚という異例の対応を見せたが、売れ行きはそれをはるかに上回るものだった。
オリコンでは初登場から3週連続でトップを獲得。最終的に約292万枚を売り上げ、この時点で歴代3位のヒット曲となる。1位の「およげ!たいやきくん」(子門真人)と「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)はともに昭和の曲だから、平成で最も売れたシングルというわけだ。
うたのおにいさん・おねえさんとしてこの曲にめぐりあった速水と茂森は、3月で番組を卒業したものの、一躍、時の人に。暮れの「NHK紅白歌合戦」にも出場した。
が、その12年後、これはいわくつきの曲になってしまう。11年7月、速水が車を運転中に78歳の女性を轢き、この女性が死亡したのだ。下された判決は執行猶予つきだったが、速水は自らの意志で謹慎。ムード歌謡やアニソンの歌手を経て、紅白出場を果たした苦労人は、天国から地獄を味わったのである。
「だんご3兄弟」自体は後輩のおにいさん・おねえさんたちによって「おかあさんといっしょ」などで歌い継がれていったものの、暗いイメージがついてしまったことは否めない。
その4ヶ月前には、別の大ヒット曲もいわくつきになっていた。00年1月に発売され、約294万枚を売り上げた「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)だ。「ウンナンのホントコ!」(TBS系)の企画「未来日記III」のテーマとして親しまれ、歴代3位、平成最高の座を「だんご3兄弟」から奪った。
暮れには、日本レコード大賞を獲得。「やっとひばりさんの背中が見えました」と語った桑田佳祐にとって、音楽人生の絶頂ともいうべき瞬間だった。
しかし、11年3月に起きた東日本大震災によって、この曲の運命は反転する。1万数千人もの命を奪った津波を連想させるとして、テレビでもラジオでもほとんど流れなくなってしまった。サザンがライブで演奏したのも、震災前の08年が最後だ。
18年にはサザンのベストアルバムに収録され、ライブでの解禁を望む声も出たが、桑田は、
「ライブで歌わないということも、何かのメッセージになるんじゃないかと、実は思っていたんですけどね。サザンとしては、スタッフも含めて、東北のことを忘れないし、まだ震災は終わっていませんから」
と、ラジオでコメントした。
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『痩せ姫 生きづらさの果てに』
エフ=宝泉薫 (著)
女性が「細さ」にこだわる本当の理由とは?
人類の進化のスピードより、ずっと速く進んでしまう時代に命がけで追いすがる「未来のイヴ」たちの記憶
————中野信子(脳科学者・医学博士)推薦
瘦せることがすべて、そんな生き方もあっていい。居場所なき少数派のためのサンクチュアリがここにある。
健康至上主義的現代の奇書にして、食と性が大混乱をきたした新たな時代のバイブル。
摂食障害。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。食事を制限したり、排出したりして、どんどん瘦せていく、あるいは、瘦せすぎで居続けようとする場合はもとより、たとえ瘦せていなくても、嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。しかし、こんな見方もできます。
瘦せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。今すぐにでも死んでしまいたいほど、つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために「瘦せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。
(「まえがき」より)